ビーズうさぎのハナちゃんと行く!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岐阜県大垣市、上石津町宮「大神神社のスギ」(社叢:県指定)です!!

宮地区は、大垣市役所の西南西約17km、大垣市役所上石津地域事務所の北西約500mのところです

 

大垣市役所上石津地域事務所の西側の国道365号線を北へ

 

約200mの「上原」信号を左(西)へ、約250mで牧田川を渡り坂道を上ると

東向きの大神神社(おおみわじんじゃ)前に出ました😮

 

境内西側の広い駐車場に🚗車を止めさせて頂きました

境内入口両側の石垣の上に太い幹の杉が並びます

「式内 大神神社」社號標です😊

由緒説明版です

   式内 大神神社御由緒

     御祭神  大物主櫛甕玉命(オオモノヌシクシミカタマノミコト)

      相殿  神倭磐余彦天皇(カムヤマトイワレヒコノスメラミコト)   

          比売多多良五十鈴比売命(ヒメタタライスズヒメノミコト)

  沿革

 当社は延喜式神名帳所載の神社で、朱鳥6年(西暦692年)持統天皇の伊勢国行幸の際、右大臣三輪朝臣高市麿が神託を承け此の地しに創建せりと云う。

 鳥羽天皇の御宇、永久元年(1113年)郁季宮ヶ平に奉祀しとありし。

 神武天皇並びに皇后五十鈴媛命の社殿(天延元年:西暦973年創建)暴風雨の為破壊して当社の御手洗川に流され来り給う。よって之れを拾い上げ当社に合祀して流彦大明神と崇め大神神社全体を流彦大明神と称するに至る。

 同年七堂伽藍を建立、神威隆盛を極む。

 安元2年(1176年)高倉天皇仏像の御寄進あり。当時神階正一位を受けられしと云う。

 江戸時代は、歴代領主高木三家の崇敬保護を享く。

 明治4年社号を復古して大神神社と改め、同6年郷社に列し氏子等挙って崇敬の誠を捧げ、今日に至る。

  御神徳

 大物主大神の和魂幸魂奇魂の三つの輪(和)を持ち戴いて、生きるとき人々は不思議な強い力を与えられる夫婦和合・医薬人造り、国(郷)造りに霊験あらたかな大神である。

  総本社 奈良県桜井市三輪町、三輪山・元官幣大社 大神神社

「大垣市景観遺産 大神神社」の石碑です

境内で一番太い杉は、鳥居前右(北)側の一本です😃

北北東側から😀樹高32m、目通り幹囲5.6mの巨木です

境内に入って西側から見上げました😊

手水舎です

拝殿です😌

本殿覆い屋です😊

社殿右(北)側に赤い鳥居が並んでいます😊

境内社の稲荷神社です😌

神明社です😌

秋葉神社です😌

 

祭神 火之夜替速男之神(明治14年:西暦1881年・遠州秋葉神社から勧請)

   火之迦具土之神 (宝暦14年:西暦1763年・祢宜上上野から移設)  

 平成30年(西暦2018年)秋に秋葉神社と愛宕神社を合祀する。

 両祭神を旧愛宕神社内陣に祀り、愛宕神社を秋葉神社と改める。  

 防火の神、悪しき風(暴風)、悪しき雨(暴雨)の守神として奉るもの也。

 石灯篭は、宝暦7年(西暦1757年)に当時の旧秋葉神社に多良茶商人から献燈されたと伝う。                        

貴船神社です😌

 

 御祭神 (水波能売之神・磐長姫之命・天武天皇)

 ご利益 (慈雨・縁結び・盛運・順縁)

 寛文年中(西暦1661年)大神神社の境内に往古から祀らる天武天皇の御尊像を羽ヶ原沖へ遷し、雨乞いの神として奉られる。

 平成29年(西暦2017年)の夏に貴船神社の社殿が強風で破損し、令和元年(西暦2019年)に、旧天武天皇の「社」の趾の大神神社境内に再営する。

 天武天皇の御尊像は、白鳳時代から悠久の時を超え、今に貴船神社の御霊代として奉られる。

 令和元年秋、旧羽ヶ原邑(現宮区)より遷座。

貴船神社には立派な社號標が有ります😊

貴船神社創建由来の「夫婦杉」です😃

東側から、根の部分が完全に癒着していて、注連縄が二本の間に掛けられています😉

 

では、次へ行きましょう🚗⤴

 

 

 

 

 

 

 

2026・5・16・15・15

写真32枚

 

岐阜県大垣市、上石津町奥「津島神社のスダジイとイチイガシ」(社叢:市指定)です!!

大垣市は、平成18年(2006)3月27日に安八郡墨俣町と養老郡上石津町を編入して、ほぼ現在の市域となりました。

(墨俣と上石津には地域事務所:地域自治区が設置されています)

 

上石津町奥地区は、大垣市役所の西南西約17km、大垣市役所上石津地域事務所の北西約2kmの所です

 

大垣市役所上石津地域事務所の西側の国道365号線を北へ

 

約1.4kmの「下多良」信号を鋭角に左(南西)へ入って、細い橋の手前を右(西)へ道成に

 

約300mの設備会社の先を右(北西)へ、道成に細い道路を進みます

 

やがて鍛冶屋川沿いを進んだ1.1kmで

津島神社前に出ました😮

 

境内端に🚗車を止めさせて頂きました

「村社 津嶋神社」社號標です😊

文化財説明版です

   大垣市天然記念物

     津島神社の社叢

 津島神社は延宝元年(1673)6月の棟札のある古い神社である。

 この社叢は樹種も非常に豊富で、目通り幹囲5.8mのイチイガシの古木をはじめ、大木・古木がうっそうと茂り、生態学的にも貴重なものと考えられている。

   大垣市重要無形文化財

     元禄獅子舞

 津島神社の神楽は、約300年前から伝わり、年々の豊作や除病を祈願して奉納されたといわれている。

 山郷の素朴さを残すこの神楽は、全12舞からなり、氏子中が伝承している。

                            大垣市教育委員会

御由緒石碑です

   津嶌神社御由緒

     鎮座 岐阜県養老郡上石津町大字奥185番地1

     祭神 建速素盞嗚尊(たけはやすさのおのみこと)

        豊受姫命(とようけひめのみこと)

        久々能智命(くくのちのみこと:木の神様・山林業の祖神)

 この御社は往昔奥村に所在した真言宗正覚院の鎮守であったが、何時の頃からか奥谷畑上鍛冶屋三村で奉祀し、其の後奥村の氏神として天王さんと称され、村人の崇敬の念も篤く、棟札の数は33枚の多きを数え、延宝元年癸丑(1672)6月社殿修理をはじめ慶応に至るまでの間、再営も3回に及んで居る。

 この度、神殿拝殿改築の議成り、平成10年10月10日起工、神域も整備し平成11年10月10日氏子あげて奉祀し落慶の式典を挙行する。

  西境内社御鍬神社(豊受大神宮)

  東境内社薬師如来(牛頭天王)除病法薬の如来

  毘沙門天(多聞天)福寿増長の神

 明治29年より津嶌神社の神殿に安置されていた薬師如来と毘沙門天(木像奈良時代の作と推定)は、このたび東境内社を設け奉祀する。

 獅子舞(昭和46年4月1日上石津無形民俗文化財に指定)奥の獅子舞は、関ヶ原合戦以前、阿部右近領地当時より伝承されて居る、昔この地に疫病が流行した時、この獅子舞奉献により村人が救われた以後、奥地区民あげて氏神に奉献する一大行事である。

  津嶌神社の社叢(昭和63年3月10日)(上石津町指定天然記念物に指定)

 本社は社地林地壮大で大木古木が鬱蒼として繁り、実に荘厳な社叢を形成して居る。

               平成11年10月10日   津嶌神社氏子中

手水舎です

境内の榧木です😃

大垣市景観遺産・津島神社の社叢の碑です😊

こちらはケヤキの大木ですね😉

拝殿です😌

拝殿左(西)側に、境内最大のスダジイの巨木です😃

樹高35m、目通り幹囲は7.2mだそうです😊

西側境内社の御鍬神社と東境内社の薬師如来(牛頭天王)です😌

境内東端にイチイガシの巨木です😃

南西側から、目通り幹囲5.8mです😀

南東側から😛

幹には多くのサルノコシカケ科のキノコが生えています、幹の中は大丈夫でしょうか😰

 

では、次へ行きましょう🚗⤴

 

 

 

 

 

 

 

2026・5・16・14・55

写真30枚

 

岐阜県関ケ原町、松尾「月見宮大杉」(町指定)です!!

秋田や福島で、またまた熊被害が出てしまいました😰

 

秋田市では、高齢女性が死亡して発見され、福島市では工場で男女4名が被害を受けていたと言います、ツキノワグマが狂暴になっているような気がしています😝

 

山間部だけでなく、人工密集地にも危ない熊が出現する昨今です、充分以上に気を付けていきたいと思っています😖

 

では・・・

 

松尾地区は、関ケ原町役場の南西約1kmのところ

 

関ケ原町役場の西側の県道236号関ケ原停車場線を南東へ東海道本線を越えて道成に進んで

 

約600mの「関ケ原駅前」信号を右(西南西)へ、国道21号中山道を道成に進みます

 

約800mの「松尾歯科」の看板を斜め左(西南西)へ入ります

 

約200mで「⇐福島正則陣跡100m」の案内板を左(南)へ入ります

 

約70mでまた左(東)へ曲がると間も無く右手に

春日神社が東向きに鎮座し社殿前に目的の大杉です

向側(北側)の、福島正則陣跡駐車場に🚗車を止めさせて頂きました

 

説明版の内容です・・・

   福島正則陣跡

 福島正則は、幼少より豊臣秀吉に仕え、豊臣家を慕う気持ちは強かったが、石田三成とは犬猿の仲で、会津征伐の途上で開かれた小山評定では真っ先に徳川家康への加勢を表明したといわれる。以来、常に先鋒を任され、美濃へ侵攻して竹ヶ鼻城(羽島市)や岐阜城(岐阜市)を攻め落した。

 戦いの前日も、東軍の先鋒として約6千の兵を率い、夜半に岡山(大垣市)を出陣。ここ松尾村付近に布陣し、東山道(中山道)を挟んで南天満山に布陣する宇喜田秀家と対峙した。

 午前8時頃、井伊直政と松平忠吉に抜け駆けされ、先陣の功を許してしまうと、直後に発砲を命じる。可児才蔵(吉長)を先鋒に、約3倍の兵力を擁する宇喜田隊へ攻めかかり、宇喜多隊の先鋒・明石掃部(全登)と衝突。一時は押されたが、東軍諸将とともによく持ちこたえ、午後に西軍の敗色が濃厚になると宇喜田隊を突き崩した。

 正則はその功により大封を得たが、徳川幕府の成立後も豊臣家への恩義を忘れなかった。大阪の陣では本人の出陣は許されず、後に改易され、失意のうちに没する。

 陣跡碑は井上神社前にあったが、後に春日神社に移された。境内の大杉は樹齢800年といわれ、関ケ原合戦図屏風にも描かれている。

「明神前 福島正則陣所古趾」の標柱です

北側から大杉を見ました😛道路側の枝が多く切られています

説明版です

   町天然記念物(昭和36年8月5日指定)

    月見宮大杉

 この杉の巨木は、関ケ原合戦屏風にも描かれていて、樹齢は800年余りと推定されます。

 平安の御代より、長く時代の変遷を見つめてきたとは驚嘆に値します。その記録は幹の年輪に刻まれています。

 目通り約5.8m、高さ約25mと、貝戸大神宮大杉に次ぐ、正に杉の横網です。

                                 関ケ原町

手水舎です

鐘楼です♬

北東側から😀

春日神社社殿です😌

東側から😃大枝の切口はトタンで覆われています、雨水が侵入して幹を腐蝕させないようにですね

南側から😀

西側から見ました😃枝落ちは危険ですので、道路側の枝が伐られてしまうのは仕方ないことなのでしょう・・・

 

では、次へ行きましょう🚗⤴

 

 

 

 

 

 

 

2026・5・16・13・30

写真22枚

 

岐阜県関ケ原町、関ケ原「関ヶ原本陣跡のスダジイ」(県指定)です!!

関ケ原町は岐阜県の西端にあり、古くから近畿地方と東海地方の境には不破関や天下分目の関ヶ原の戦いの舞台でもあり、東海道本線・東海道新幹線・名神高速道路や国道21号(中山道)線も通る交通の要衝です

 関ケ原と関ヶ原・・・町名にはケは大文字で使用されています、また関ケ原町以西では「ケ」の文字が使われる自治体は無く最西端のケを使用した町となっています

 

関ケ原地区は、関ケ原町役場のある地区です、町役場の南側の東海道本線と国道21号線の間に関ケ原八幡神社が有り、鳥居脇に「関ヶ原本陣跡のスダジイ」があります

 

関ケ原町役場西側の県道236号関ケ原停車場線を南へ、東海道本線の上を越えて直ぐに右へ、直ぐ左下に関ケ原八幡神社境内です、「八幡神社北入口」の碑が建っています

道成に下って約200mで南向きの関ケ原八幡神社の鳥居前に出ました😮

 

手前の道路脇に🚗車を止めさせて頂きまし

右手に一段高くに目的のスダジイです😃

「郷社 八幡神社」の社號標です😊

西側の社號標前から見上げました😀

 町・県天然記念物

   (昭和35年12月15日町指定・昭和37年2月12日県指定)

  関ケ原本陣跡スダジイ

 ブナ科の常緑高木「スダジイ」は椎の一種です。一般に大木・古木となる性質があり、葉は革質で長円形。果実がどんぐり状で食用になります。

 材は建材・家具材・椎茸の原木などにもなり、樹皮は染色に用いられます。

 ここはかつて本陣の庭の一角にあたり、当時より時代の流れを見つめてきたこの木は正に樹木の王様といえましょう。

                                関ケ原町

西北西側から😛

北北西側から😃北側へは入れませんでしたので南側へ戻ります⤵

南南西側から😀

「岐阜県天然記念物 関ヶ原本陣スダジイ」の標柱と、「天然記念物関ヶ原本陣阯スダジイ」の石柱です😊、微妙に表現が違っています

南東側から見上げました😉

鳥居を潜って八幡神社にお参りしましょう ⇑

手水舎前にはバラやお花の鉢が並べられています😉

拝殿です😌

説明版です

   郷社 八幡神社 

  鎮座地 関ケ原町字福井

  御祭神 応神天皇 玉依姫

  御祭神の系譜

      応神天皇 祖父は倭建命、父は第14代仲哀天皇、母は神功皇后。     

      玉依姫  父は海の神大綿津見神、姉は豊玉姫、夫は姉豊玉姫と火遠理命 

           (山幸彦)との子鵜葦草葦不合命、子は初代神武天皇

      摂社 明神神社 御祭神 天照大御神

      摂社 愛宕神社 御祭神 火之迦具土神

  御創建の由来

 当社の創建は棟札によれば、天正16年(1588年)に領主竹中重門が瑞龍庵主の本願により、垂井町岩手の禅幢寺の長老(氏名不詳)に宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の祭神を勧請させたのに始まるとされる。

 慶長5年(1600年)関ヶ原合戦によって社殿は焼失したが徳川家康公により修復の扶持を与えられ、慶長13年(1608年)に再建された。

 その後、幾度か社殿修復がなされ、現社殿は昭和13年(1938年)に改築されたものである。また摂社の愛宕神社は字宝有地にあったが、明治31年(1898年)当社内に移築された。

  三尊仏と梵鐘祭神

 古くは、神は仏の化身とされていた。当社にも宮寺があって毘沙門天(多聞天)、薬師如来、地蔵菩薩の三尊仏が安置されていた。

 しかし、明治元年(1868年)の神仏分離令により、瑞龍寺に預けられ現在は秘仏として扱われている。また梵鐘は、今須祖父谷の三倫寺に預けられたが太平洋戦争のとき供出され現存しない。

本殿です😊

 

では、次へ行きましょう🚗⤴

 

 

 

 

 

 

 

2026・5・16・13・05

写真25枚

 

 

岐阜県垂井町、宮代「南宮大社のスギ」です!!

宮代地区は、垂井町役場のあるちくです、町役場の南西約1.5kmのところに南宮大社が東南東向きに鎮座します

 

垂井町役場西側の県道215号養老垂井線を南へ直ぐの「宮代」信号を右(西)へ、国道21号線です

 

約1kmの「御所野」信号を左(南)へ

約200mで東海道新幹線の高架を潜ると大きな南宮大社の赤い大鳥居です😃

更に南へ進んで東向きの南宮大社境内入口です😮

 

ここの右手境内北側に参拝者🚗駐車場がありますので利用させて頂きました

「南宮大社」社號標です😊

右手に境内社の「数立神社」です、御祭神は猿田彦神で夫婦和合・交通安全の御利益があります😌

参道を進みましょう ⇑

説明版です

   南宮大社のあらまし

 1、御祭神は金山彦命をお祀り申し上げ、古来金の守護神として、また魔除け、災難除けの大神として御神徳の高い神様であられます。

 1、御鎮座は遠く、人皇崇神天皇の御代と伝えられ、美濃国の国府から南方に当たる故、南宮大社と呼ばれるようになりました。

 1、古来朝野の崇敬極めて厚く、天武天皇・聖武天皇の御参拝を始め、既に千年前より国幣の名神大社に列せられ、正一位勲一等の神位を極められて美濃国の一宮として、また広く金山彦大神の総本宮として厚く崇敬されてきた名大社であります。

1、天下分目の関ケ原合戦に、御社殿は惜しくも兵火にかかって炎上した為、徳川家光公が寛永年間(360年前)莫大な経費を寄進して再建したのが現在の御社殿であります。御祭神の御神威をよく表現した名建築として重要文化財に指定されています。

 1、特殊神事

    節分祭(2月節分)大的神事

    例大祭(5月5日)御輿渡御 蛇山神事(重要無形文化財)

    金山祭(11月8日)ふいご祭 古式鍛錬式奉納

由緒説明版です

   南宮大社御由緒

     御祭神 金山彦大神

 御鎮座は古く人皇10代崇神天皇の御代と伝えられ、国府から南方に当たる故、南宮大社と称せられている。

 古来金宝の守護神、破魔除災の神と御神威高く、既に千年前延喜の制に国幣大社に列せられ一宮として亦広く金之總本宮として崇敬厚い名社である。

 御社殿は関ケ原合戦の兵火に遇いて炎上の為、徳川家光公旧に復して再建され、明治維新の神仏分離令に依り堂塔は他に移建され今日に至る。

 本殿以下18棟が国の重要文化財の建築である。

 節分祭 2月節分    大的歩射神事

 例大祭 5月4日・5日 御田植神事蛇山神事 御輿渡御国指定無形文化財

 金山祭 11月8日   通称ふいご祭

宝物殿です、開館して中を見学できます😉

石輪橋と楼門です😛

南宮大社扁額の説明書きです

境内の本殿以下18の建物は国の重要文化財です

楼門を入ると正面に舞殿(神楽殿)です

左手に手出舎です

拝殿です

拝殿を正面から😌

境内に祀られている、境内社(摂社・末社)の御祭神と御神徳が書かれています

目的のスギは祈祷者入口の上に梢が見えています😃

祈祷者入口から本殿を見る事が出来ました😊

左が「樹下社(このもとしゃ)」御祭神は大己貴神、御神徳は縁結び・夫婦和合・商売繁盛。右側は「隼人社」御祭神は火闌降命(ほのすそりのみこと)、御神徳は豊漁・豊作です。

北門を出て見ました ⇑

社務所脇の屋根の上にスギの梢が見えましたが、根元は見る事が出来ませんでした、樹高30m、目通り幹囲5.2mとされているようです😝

境内に戻ります⤵

拝殿両側の廻廊です

南門を出て、南宮稲荷神社まで行って見ましょう ⇑

直ぐに右に曲がって西へ上って行きます

「千本椿奉献碑」のわきにはヒノキの大木です😀参道の両側にはツバキが植えられています

聖武天皇大仏建立勅願所の石碑です

「帳内引常明神 湖千海神社」の鳥居です、祠は少し南へ入ったところのようで、御祭神は豊玉彦神、御神徳は海上安全・航海守護・漁業守護です

金敷金床神社です、御祭神は豊玉姫命と蛭児神で、御神徳は諸産業の守護・航海守護・商売繁盛です

瓦塚です、長年社殿を守ってきた古瓦は、無下に仕末することは許されない、心から厚くその功業に感謝し、今より常卋神の引常明神の大前に捧げまつり、常にその功力の御蔭を祈りまつる。

右に少し入って東向きに「伊勢両宮社」です、御祭神は天照大御神・豊受大御神で、御神徳は国家安泰・福徳開運・諸産業の守護です。往古聖武天皇行幸の本殿奉斎地でもあります。

東照宮です、御祭神は東照大権現(徳川家康公)ですね、御神徳は国家安泰・勝負運・子孫繁栄です。

荒御魂社です、御祭神は金山彦神の荒御魂(勇ましい魂)です、本殿には和御魂(にぎみたま)をお祀りしています。

参道右手に荒らしいスギの古木です😀

南宮稲荷神社の「百連鳥居」が並びます ⇑

鳥居列を貫けると、「南宮稲荷大明神」の幟が並びます ⇑

南宮稲荷神社境内です😌

キツネの置物が並んだ「南宮稲荷神社」社殿です😌

 

境内に戻りましょう

本殿の西側玉垣の外側にスギの大木がありました😃

南東側から、目通り幹囲は4m程でしょうか❓

 

では、次へ行きましょう🚗⤴

 

 

 

 

 

 

 

 

2026・5・16・12・10

写真49枚

岐阜県垂井町、伊吹「伊富岐神社の大スギ」(県指定)です!!

伊吹地区は、垂井町役場の西北西約5kmのところです

 

垂井町役場西側の県道215号養老垂井線を北へ、相川を渡って道成に進みます

 

約700mの「流」信号を左(西)へ、美濃路から先に進むと相川沿いの旧中山道に合流します

 

道成に約1km先からは県道257号川合垂井線となり、さらに西北西へ進みます

 

約1.5kmの県道右カーブのところで「岩手のヤマモモ」を見て、県道のカーブを斜め左(西)へ入ります

 

道成に約1.3kmの丁字路を右(北西)へ、伊吹集落に入って行きます

約300mで道路左に参道の太鼓橋が埋まっています、この先はかつてニノ鳥居だった両部鳥居の跡です😮一ノ鳥居は約700m南東側の東海道本線を超えた旧中山道に面して建っています

「式内 縣社 伊富岐神社」の社號標です😊

更に進んで ⇑

境内入口に🚗車を止めさせて頂きました

大きな石の神橋(太鼓橋)は渡れないので、右(東)側の石橋を渡りましょう😉

左手には東向きに弁財天(厳島神社)でしょうか❓

手水舎です

案内板です、杉の古木が楽しみです😊

広い境内に入りました、伊富岐神社は南東向きに鎮座します😃

 

社殿の左手に目的の「大スギ」と右手に綺麗な幹のヒノキの大木です

南東側から、短い注連縄が掛けられています😃

玉垣に近付いて見上げました😀

説明版です

   岐阜県天然記念物

     伊富岐神社の大杉    昭和50年12月10日指定

 スギ科の常緑高木。伊富岐神社境内、社殿向かって左側にある。

 根元の幹周囲9.6m、目通り6.6m、樹高約30m、枝張り東6.5m、西4m、南6m、北10m、地上5m付近で四幹に分れている。樹勢は極めて良好で、県下でも稀な大杉である。

 また関ケ原の戦いの戦火を避けて、神社のご神体をこの木の四つ又にかくしたところ、諸社は焼け落ちたが、この大杉は兵火をまぬがれ、ご神体も無事であったという伝承が残っている。

                            垂井町教育委員会

拝殿前に上がって東北東側から😃

北側から😀

西北西側から、こちら側の頂部は切り取られてしまっています😰

西南西側から、注連縄は6分の1程までしか届いていません後側は針金で繋がれています😝

南西側から見上げました😀

拝殿です😌

玉垣の中に本殿と境内(摂社・末社)が並んでいます😊

 垂井町指定有形文化財(典籍)

   伊富岐神社棟札   昭和35年8月17日指定

 伊富岐神社は、「文徳天皇実録」仁寿2年(852)の頃に「美濃国伊富岐神」の名が見え、美濃の二ノ宮として古い神社である。

 慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で、社殿が兵火にかかり焼失したといわれている。

 伊富岐神社の棟札には、慶長11年(1606)のものがあり、合戦後まもなく社殿が再建されたことを物語っている。

                  平成21年1月   垂井町教育委員

社殿右(東)のヒノキの大木にも注連縄が掛けられています😃


では、次へ行きましょう🚗⤴


 

 

 

 

 

 

2026・5・16・11・40

写真42枚

岐阜県高山市、奥飛騨温泉郷平湯「平湯大ネズコ」(森の巨人たち百選)です!!

*ネズコ(鼠子)の別名称は「クロベ:黒檜」です、ヒノキ科クロベ属(ネズコ属)の常緑針葉樹です。日本固有種で、本州秋田県以南から中部地方と四国の山地帯ブナ帯の上部から亜高山帯に分布し、植林される事は無いとされ、陰樹で成長はやや遅いとされていますが、木曽五木の一つとされ建築用材としても利用されています😊

 

奥飛騨温泉郷平湯地区は、高山市役所の東約28km、丹生川支所の東22kmのところです

 

奥飛騨温泉郷は、かつての上宝村に属しています、平成17年(2005)2月1日に、大野郡の丹生川村・清見村・荘川村・宮村・高根村・久々野町と吉城郡の国府町と共に高山市に編入されました。

 

今回は、丹生川支所前からのルートとして、平湯を通って上宝支所付近迄行き、この日の内に埼玉に帰るため安房トンネルを貫けて松本へ下ることにしましたよ😉

 

丹生川支所南側の国道158号線を東へ向かいます、約11.3kmの丹生川町日面から塩屋地区の国道158号線が土砂崩れで小八賀川左岸の旧道を通って迂回することになりました

(高山市内から国道158号線大型車通行困難、国道471号線(神岡・上宝)に迂回するよう指示が出ていました)

 

迂回路を約3.2km走って国道158号線に戻りました

 

道成にさらに約8.4kmで平湯トンネルに入りました、総延長2430mを貫けて下りになります

約2kmで「巨木百選 平湯大ネズコ⇨」の標識が出ていますので国道から南側の資材置き場になっている広場に入りました

歩道入口です⇐

説明版です

   平湯大ネズコ

 昭和初期、林野庁より村人が原木を払い下げていただき、炭焼をして生活の支えとしていた時、巨木を発見しました。

 大正時代、社会教育者「篠原無然」先生が10年、平湯温泉を拠点に飛騨の人々を教育されました。無然先生から自然の大切さを教えられた村人は、将来きっと地元の貴重な財産になると思い「平湯大ネズコ」と名づけ、残した巨木であります。

 入山の皆様には先生の気持ちをご理解いただき、自然を守るためタバコ等の火災、トイレ・ゴミ等また入山道に十分注意していただきますよう、ご協力お願い申しあげます。

                          平湯巨樹・巨木保全協議会

ここから砂防堰堤工事用道路を真っ直ぐに進みます  ⇑

左手の沢には砂防堰堤が段々に造られて滝が連続しています  ⇑

沢を橋で渡って工事用道路は高度を稼ぐため左(南東)に迂回していますのでこちらへ進みます  ⇑

道路脇には「ネコノメソウ」の群落です😮

ユキノシタ科ネコノメソウ属の背丈が4~20cm程になる多年草です😊

「ネコノメ」の名前は果実に細長い窪みがあり、これがネコの目の瞳孔ににていることから名付られたそうです😉

工事用道路が折り返すと・・・

大きな看板の建てられた歩道入口です💦この先で工事用道路は行止まりです

林野庁が設置した入山者への注意事項が記されていますので、守って行きましょう😊

大ネズコまで500mです😉

足元はニリンソウの群落です😛

直射日光が当たる前は花が開いていませ、ニリンソウはキンポウゲ科イチリンソウ属の多年草です、特徴的に一カ所から二本の花芽が出ています、有毒植物の多いキンポウゲ科の中で珍しく食用にされる植物です、ここでは取ってはいけませんね😉

踏まないように進みましょう  ⇑

斜面にはエンレイソウの群落です😛

シュロソウ科エンレイソウ属の多年草です、、特徴的な葉が3枚花も3枚の花弁で分かりやすくですね😉

尾根筋を回り込む様に進んで行きます  ⇑

少し下っています💦

東北東方向に緩く上って行きます  ⇑

木の葉が出きる前のこの時期には、国道158号線を走る車や、平湯の温泉街を見る事が出来ます😀

間も無く右に折り返します  ⇑

更に登って行くと  ⇑

上側に大きな黒い樹冠が見えます😮

次の折り返しから見上げました😀

見えているのは、大ネズコの手前のネズコで、幹の後に大ネズコの樹冠が見えます😉

最後の登りの木の階段です💦

大ネズコです、手前にウッドデッキが設けられています😮

下から見えていた、手前のネズコです

アップして見ました、目通り幹囲は3m程でしょうか❓

ウッドデッキから見上げました😀

平成12年4月指定「巨樹・巨木平湯大ネズコ」の標柱です😊

森の巨人たち百選のプレートです。

   No、55「平湯大ネズコ」岐阜県上宝村

 樹種ネズコ、推定樹齢1000年、樹高23m、幹周7.6m

                            の巨木です😊

北西側から

西側から

南西側のウッドデッキから

南側から

南東側から

東側から

北東側から

北側から見上げました😀

平湯キャンプ場まで400mの案内板です、2025年8月にこちら側からの入山を予定して出かけた時には、山道の崩壊を理由に入山できませんでしたが、修理は終わったのでしょうか❓

登って来た道を戻りましょう・・・

 

では、次へ行きましょう🚗⤴

 

 

 

 

 

 

 

2026・4・30・8・20

写真66枚 1時間20分